開倫塾塾長の林明夫が様々な場所で,考えたことや発表させて頂いたことを一週間分まとめて,毎週月曜日に皆様に報告するページです。
Posted by No Name Ninja - 2011.06.30,Thu
書き抜き読書ノート827 2011 年1 月3 日
日本の伝統―コンセンサス―
1.(1)日本のデモクラシーの淵源は、どこに求めるべきであろうか。
(2)アングロ・サクソンのデモクラシーの淵源として度々引用されるのは、アングロ・サクソンの先祖がまだゲルマニアの森に住んでいた頃のタキトゥスの描写である。
(3)「大したことのない場合は、首長が決定する。重要な問題はコミューニティ全体が決める」
2.
(1)このような考え方は、たしかに東洋思想とは違う。
孔子は「民は由らしむべし。知らしむべからず」
と言っている。
(2)この解釈にも諸説あって、孔子は「人民に教えてはいけない」と言ったのではなく、「人民にその意とするところをわかってもらうのは難しい」と慨嘆したのだという解釈の方が正しいようであるが、
民意にしたがって政治をしようという気がない点では、どちらの解釈も同じである。
もともと論語の政治思想はすべて、君主がいかにして民を治めるかを論じたものであり、上から下への関係である。
3.
(1)ところが、不思議なことは、日本にはゲルマンに似た考え方があったことである。聖徳太子の憲法第17 条が次のように言っていることである。
(2)「独断(独りで決定すること)してはいけない。必ず多くの人と議論しなければいけない。
小さな問題は軽いことであるから、必ずしも皆と相談しなくてもよい。
しかし、大きな問題については、間違いがあってはいけないから、皆と話し合っていれば、妥当な線が出てくる」
(3)聖徳太子は摂政であり、王ではなかったが、日本の歴史の最高の哲人王と言ってよい。
中国、印度の古典に通暁し、多くの学者の研究では17 条の憲法で使われている言葉の淵源は、仏典の他に、中国の重要な古典ほとんど全部を含んでいるという。
(4)しかし、中国の古典で「独断」が使われるのは、よい意味としてである。
聖徳太子の用いた「独断」の原典であろうとされている管子も、「明主は、ひろく聞いて、独断す」と、皆の意見を聴取するところまでは聖徳太子の思想と同じとしても、その後では独断するのが名君だといっているのである。
韓非子となると、「よく独断する人こそ天下の指導者にふさわしい」と言っている。
聖徳太子のように「不可独断」と言い切っているのは東洋思想では独創的と言ってよいであろう。
ヨーロッパに似た日本の封建制度
1.
(1)独断という価値観は中国歴代の東洋的英雄や名君の言動とも一致している。
大事にあたって、右顧左眄せず、自らの責任で自ら判断を下せる人が真の指導者なのである。
(2)日本でも、戦国時代の英雄たちなどをみると同じである。しかし、日本では戦国時代はむ
しろ例外であって、その他の時代では指導グループのコンセンサスで動いていたことが多かったようである。
今でも、日本の政治はコンセンサスの政治であって、強力な指導者がないと指摘されている。
キッシンジャーは、引退の後で、日本の政治がコンセンサスで動くことを自分は知らなかったと慨嘆しているが、あるいは、このあたりに日本の政治の世界でも類の少ない特質があるのかもしれない。
2.
聖徳太子以降、百代近い日本の天皇の言動は、西欧の皇帝、国王とは明らかにちがう。
「××大王」と西洋で呼ばれるのに匹敵する天皇は出ていない。
明治「大帝」でも、同時代のドイツのカイザーやロシアのツァーとは違う。
天皇の個性、個人の意志を直接的には国政に反映させていない。
すべて群臣合議のコンセンサスの上に立って政治を行っている。
3.
(1)聖徳太子の憲法以降の日本は、たしかに、大陸アジアとは異なった道を歩んでいる。
奈良朝では、もっぱら唐の制度を輸入しているが、その時代以降、中国本土、朝鮮半島、ベトナムで行政制度の中心となった科挙の制度は、遂に日本には根づかなかった。
その代わりに、地方に荘園の制度が発達し、やがて12 世紀以降は、アジア的中央集権体制でなく、ヨーロッパ中世に似た封建制度となる。
(2)ライシャワー博士は、日本は西ヨーロッパ以外で、世界で唯一、封建主義を発達させた国として、日本の近代化が成功した原因をそこに求めようとした。
(3)たしかに、専制君主制度が権力を一人の手に集めている制度とすれば、封建制度は、権力をより広く分散し、責任をより広く分かち合っている制度ということも言える。
4.
もう一つ、ヨーロッパと日本の共通点として、モンゴル帝国の支配が及ばなかった地域だったということも事実である。
モンゴル支配のように、ただの専制と人民の関係でなく、人間と家畜の関係のような暴虐と圧政を経験すると、専制権力に抵抗する気力が、永い間、その民族から奪われてしまうということもあるようである。
P212 ~ 215
[コメント]
日本の近代化の担い手の一人、陸奥宗光について書き記した本書ではあるが、よく読んでみると、日本の文化、日本の文明のありよう、日本外交、日本の目指すものが書き記されている。
この「~とその時代」シリーズは小村寿太郎、幣原喜重郎、重光・東郷、吉田茂と続くが、日本史を学ぶ日本国民必読のテキストと確信する。
中学生や高校生も仮名を頼りにじっくり読み込めば、日本史が大好きになる。
日本が大好きになる。
日本人としてどう生きたらよいのかの考えが得られる。
- 2011 年1 月3 日林明夫記-
日本の伝統―コンセンサス―
1.(1)日本のデモクラシーの淵源は、どこに求めるべきであろうか。
(2)アングロ・サクソンのデモクラシーの淵源として度々引用されるのは、アングロ・サクソンの先祖がまだゲルマニアの森に住んでいた頃のタキトゥスの描写である。
(3)「大したことのない場合は、首長が決定する。重要な問題はコミューニティ全体が決める」
2.
(1)このような考え方は、たしかに東洋思想とは違う。
孔子は「民は由らしむべし。知らしむべからず」
と言っている。
(2)この解釈にも諸説あって、孔子は「人民に教えてはいけない」と言ったのではなく、「人民にその意とするところをわかってもらうのは難しい」と慨嘆したのだという解釈の方が正しいようであるが、
民意にしたがって政治をしようという気がない点では、どちらの解釈も同じである。
もともと論語の政治思想はすべて、君主がいかにして民を治めるかを論じたものであり、上から下への関係である。
3.
(1)ところが、不思議なことは、日本にはゲルマンに似た考え方があったことである。聖徳太子の憲法第17 条が次のように言っていることである。
(2)「独断(独りで決定すること)してはいけない。必ず多くの人と議論しなければいけない。
小さな問題は軽いことであるから、必ずしも皆と相談しなくてもよい。
しかし、大きな問題については、間違いがあってはいけないから、皆と話し合っていれば、妥当な線が出てくる」
(3)聖徳太子は摂政であり、王ではなかったが、日本の歴史の最高の哲人王と言ってよい。
中国、印度の古典に通暁し、多くの学者の研究では17 条の憲法で使われている言葉の淵源は、仏典の他に、中国の重要な古典ほとんど全部を含んでいるという。
(4)しかし、中国の古典で「独断」が使われるのは、よい意味としてである。
聖徳太子の用いた「独断」の原典であろうとされている管子も、「明主は、ひろく聞いて、独断す」と、皆の意見を聴取するところまでは聖徳太子の思想と同じとしても、その後では独断するのが名君だといっているのである。
韓非子となると、「よく独断する人こそ天下の指導者にふさわしい」と言っている。
聖徳太子のように「不可独断」と言い切っているのは東洋思想では独創的と言ってよいであろう。
ヨーロッパに似た日本の封建制度
1.
(1)独断という価値観は中国歴代の東洋的英雄や名君の言動とも一致している。
大事にあたって、右顧左眄せず、自らの責任で自ら判断を下せる人が真の指導者なのである。
(2)日本でも、戦国時代の英雄たちなどをみると同じである。しかし、日本では戦国時代はむ
しろ例外であって、その他の時代では指導グループのコンセンサスで動いていたことが多かったようである。
今でも、日本の政治はコンセンサスの政治であって、強力な指導者がないと指摘されている。
キッシンジャーは、引退の後で、日本の政治がコンセンサスで動くことを自分は知らなかったと慨嘆しているが、あるいは、このあたりに日本の政治の世界でも類の少ない特質があるのかもしれない。
2.
聖徳太子以降、百代近い日本の天皇の言動は、西欧の皇帝、国王とは明らかにちがう。
「××大王」と西洋で呼ばれるのに匹敵する天皇は出ていない。
明治「大帝」でも、同時代のドイツのカイザーやロシアのツァーとは違う。
天皇の個性、個人の意志を直接的には国政に反映させていない。
すべて群臣合議のコンセンサスの上に立って政治を行っている。
3.
(1)聖徳太子の憲法以降の日本は、たしかに、大陸アジアとは異なった道を歩んでいる。
奈良朝では、もっぱら唐の制度を輸入しているが、その時代以降、中国本土、朝鮮半島、ベトナムで行政制度の中心となった科挙の制度は、遂に日本には根づかなかった。
その代わりに、地方に荘園の制度が発達し、やがて12 世紀以降は、アジア的中央集権体制でなく、ヨーロッパ中世に似た封建制度となる。
(2)ライシャワー博士は、日本は西ヨーロッパ以外で、世界で唯一、封建主義を発達させた国として、日本の近代化が成功した原因をそこに求めようとした。
(3)たしかに、専制君主制度が権力を一人の手に集めている制度とすれば、封建制度は、権力をより広く分散し、責任をより広く分かち合っている制度ということも言える。
4.
もう一つ、ヨーロッパと日本の共通点として、モンゴル帝国の支配が及ばなかった地域だったということも事実である。
モンゴル支配のように、ただの専制と人民の関係でなく、人間と家畜の関係のような暴虐と圧政を経験すると、専制権力に抵抗する気力が、永い間、その民族から奪われてしまうということもあるようである。
P212 ~ 215
[コメント]
日本の近代化の担い手の一人、陸奥宗光について書き記した本書ではあるが、よく読んでみると、日本の文化、日本の文明のありよう、日本外交、日本の目指すものが書き記されている。
この「~とその時代」シリーズは小村寿太郎、幣原喜重郎、重光・東郷、吉田茂と続くが、日本史を学ぶ日本国民必読のテキストと確信する。
中学生や高校生も仮名を頼りにじっくり読み込めば、日本史が大好きになる。
日本が大好きになる。
日本人としてどう生きたらよいのかの考えが得られる。
- 2011 年1 月3 日林明夫記-
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